喰々じゃくじゃく

一般人の日常。都内市民。主に家にいる。思ったことをなるべく素直に書き散らす。

くうくうじゃくじゃく

ビオラむしった

今朝は、ビオラをむしっていた。

 

このまえ植木をもらえる機会があり、せっかくなのでマーガレットとミニバラとビオラと折れたルピナスをもらってきた。

 

ルピナスというのは背の高い、稲穂のような花をつける植物で、このルピナスは風で花の部分が折れてしまって、本当は持って帰るつもりはなかったのだがついでにもらってきた。オキタに「のすりの救護活動」と言われる。
花がないので今は葉しか残っていない。ぱっきり茎が折れてしまっていて、また生えてくるのか不安なところではあるが、復活したら御の字だ。

 

 

ビオラをむしっていた。
ガーデニングについてまったくの無知だったので、調べて一応世話らしいことをしてみようと思った。
ひとまず朝には水をあげる。
ところで他の鉢に比べて、このビオラの鉢はやたら詰まっている。直径15センチの程の鉢に対しパンジーよりも少し小さい花が20ほど咲いており、たくさん咲いてるのはいいのだがみちみちなのである。素人目から見ても「詰めすぎだろうコレは」と感じる。タイムセールのジャガイモ詰め放題でおばちゃんがビニール袋にみちみちに入れてるあの感じを連想させる。欲張りすぎだ。
全体的に茎はひょろひょろとしているし、20近くの花の半分はこうべをたれている。

どう考えても栄養が行き渡っていない。

いくら安いからって……という感じである。


というわけでビオラをむしっていた。

 

もう咲ききってしまった花と、光や風を遮る葉を取り除く。
そうすることで栄養が寄り道することなく行き渡るようになるらしい。

 

さて、この作業のなんと心落ち着くことか。
もくもくとちぎる作業。プチプチという感触にハマってくる。

地味だがめちゃ楽しい。

 

ダメになった葉や花は取り除いてください。
そうするときれいに花が咲きますから。

 

とあったので、これからに見込みないものはちぎっていった。

見るからに弱く、このまま成長しても仕方のないもの。花をつけていてもまだ葉が青くても邪魔するものはむしっていく。

そのうちなんとなく、なんともいえない気持ちになる。

なんだろうかこの、選んで捨てていく作業は。

ついついもぎられる花に同情なんかしちゃったりしながら、でもだんだんと手際よくなっていく。

そうしてビオラはすっきりした。

うん、良かったね……。

 

 

世話の仕方を調べたついでに不安ごとに行きついてしまった。

アブラムシ。

暖かくなるとアブラムシの発生シーズンになるらしい。

ああ、アブラムシの駆除もしないといけないんだな、これから……。
虫は少し苦手だった。
でも植物をもってかえってきたっていうのは、そういうことなんだよなあ。

 

 

 

 

 

 

 

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副産物的な。悪あがき延命

 

一人暮らしをやめた

28歳になってしまった。

 

当日

妹二人からそれぞれ数行に渡る「おめでとう」ラインがきた。父は家族の全体ラインで「おめでとう♪」と投下し、祖母からは電話がかかってきた。

この一連で自動的に、母から音沙汰ないなあとつい頭をよぎってしまったのだけど、それは「らしい」と思ってそれで完結させていたが、次の日にラインが来たので逆に驚いた。

 

なんだよ珍しいとおもって開けてみると

「誕生日おめでとう! ついに29歳か~」

ときていた。

 

惜しい……。

 

数字が覚えられないのは母譲りだ。

 

 

2018年。平成30年。

私が生まれたのは平成2年だ。

平成が30年になってしまった。その元号ももうすぐ終わる。

 

 

今年、彼氏と同棲することになりました。

 

 

なんと浮かれた文字列だろうか。非常に吐き気がする。

 

しかし、事実には変わりない。

彼氏と同棲することになりました。

 

 

こんな恥ずかしいことネタにするよりないじゃないか、と開き直った結果が上記の文言である。 

 

オキタミツヲという男と暮らしている。

一ヵ月がたった。

*1*2

 

 

 

思い出す。

私が初めて男と同棲というものを経験したのは大学を卒業してからすぐ、就職に失敗してフリーターをしていた時だと思う。

親に嫌気がさしちょうど家出したい年ごろで、バイトが一緒だった男の家に布団をかついでワンルームの部屋に転がり込んだのだった。

彼は同い年だったが、明大の4年生だった。一浪していたのだという。就職先も決まり、それまでの繋ぎとして短期バイトをしていて、そのバイト先で私と出会ってしまった。まさか彼も軽い気持ちで声をかけた女がそのまま家に転がり込んでくるなど思ってもみなかったと思う。

ひどく真面目な男で、私を社会的に自立させたがった。

「バイトなぞしていないで、正社員になるべき」

勤める会社が決まっている男だから、そう言うのはもっともだ。

(ここで私は「映像制作会社の正社員」に応募し人生の采配を間違える。彼も「なんか違う」って顔をしていた)

なぜか私のことを他の女の名前で呼びたがる男だった。

 

その生活は三ヵ月ほどで破綻した。

彼のスーツ姿をみることなく幕は降りた。

私は持ち込んだ自分の布団を背中にしょって甲州街道を歩き、実家に出戻ることとなる。

無言で布団を担ぎ帰宅した私を、また無言で見過ごしてくれた家族たちには今となっては感謝している。

 

実家から出たことのない人間が、人とともに住むというのは、自身が思っているよりも無謀なことなのである。

 

そろそろ昔の話をするのは具合が悪いのでここらでやめておく。

彼は私至上なかなかの濃厚な性癖を持つ人間だったのではあるが、もう少しとっておこう。

 

 

それから私は何度かの一人暮らしを経験して、今に至る。

あの頃に比べて、料理も洗濯も掃除も皿洗いも出来るようになった。

 

同棲生活は二ヵ月目に突入する。

お恥ずかしい話だが、私は今「のんちゃん」と呼ばれている。

単純にのすりの「の」が生かされてこの呼び名なわけだが。

 

私は未だに本当の名で呼ばれていない。

 

これはこれで、まあいいか、と思っている。

 

 

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*1:オキタミツヲ:劇団ザイロコーパ主宰。同居人。こんなのも書いてます。
私とオキタの対談コラム

ダーリンは演劇人 彼女はもっと演劇人 第二巻 【オキタミツヲ】 | しばいのまち

*2:この恥ずかしいタイトルどうにかならんかと思っている

昔のものを

昔書いた小説が出てきたので、更新代わりに。

我ながら甘酸っぱいです。

note.mu

 

実はちまちまとネタを書きためているのですが、更新に結びつかず。

ちょっとツイッタ―からブログ中心にしてみようかなんて思ってもみたりしています。

 

では、生存確認までに。

わたしとごはん

一ヶ月記事かいてないですよ、とはてなさんからお叱りを受けたのでそろそろ書きたいと思います。

 

といいつつ普段はもっぱらツイッターをねぐらにしてまして、ツイッターの更新は頻繁だったりするわけで。

ブログを書くこととツイッターで呟くこととの、この違いってなんでしょうね。まあ慣れと手軽さだと言ってしまえばおしまいなんですが。

 

簡潔に言うと

ブログって何を書けばいいのか!

という根元のところで悩んでおります。

 

アカウントせこせこ作ってブログ始めました!思いのたけを素直に!とか言い出したのは自分じゃねえかとまたはてなさんからお叱りを受けそうなんですが、マジで世の中のぶろがーさんを尊敬します。

日々の食ったものとかを載せればいいんですかね。

いやいや誰が見ず知らずの人間の食ったもんに興味があるというのか。

 

いやね、これがAKBとか乃木坂とか広瀬アリスとかだったらわかりますよ。松田龍平でもいいですね。芸能人のお食事なんかはね、それだけで私生活を共有した気になれてしまうわけですから、アイドルの私生活には価値があります。断言しますよ。

アイドルのお食事には価値があります。

 

謎の自称物書きの食ったものになど、価値はないです。

 

さて本題ですが、最近美味しかったものといえば「ゆめぴりか」です。

実家から定期的に米の配給をもらっているという依存っぷりなのですが、今回は「ゆめぴりか」をいただきました。いつもの米より1割くらい高い。

米が高いだけで何が違うのか?と半信半疑だった私でしたが、これが、違う。

まず米を炊飯している最中の湯気の香りから違う。すごく甘くて芳醇な香りが漂ってきます。米の香りの濃ゆいこと。

それから炊き上がりまして、炊飯器の蓋を開けると、蒸気と共に米の香りがぶわっと顔に直撃です。そしてもう米がふっくらたっております。それをしゃもじで掬って茶碗によそうわけですが、このしゃもじを入れたその瞬間にね、弾力がちがうんですよ、ねっとりと粘り気があってもちっと入るんですね。

この時点でかなりハードルが上がっております。この米はいかな味がするんだろうかと。

これがまったくハードルの高さを感じさせない美味さ。

第一咀嚼のあのインパクト。もちっとした歯ごたえと鼻に抜ける甘い香り。もう幸せいっぱいです。もちもち幸せです。もちもち止りません。

気付いたら軽く一合は消えてなくなります。

ぜひおすすめしたいのは、味噌汁とゆめぴりか。この組み合わせは最高です。

たまごかけごはんもおすすめしたいところですが、あえてこれは「ただの白いごはん」として味わっていただきたい。

※それでもたまごかけごはんという場合は、卵絡めサイドと白米サイドに分けてお召し上がりいただくことをおすすめします。

味噌汁の味噌もですね、「山吹」っていう味噌がありまして、こちらも母からの支給品としてもらったものなんですが、この味噌うちのばあちゃん(通称ババ)が昔使っていた味噌だと教えてもらって使っているのですが、これが本当にうまい。スーパーで売っているごく普通の味噌ですが余計な混ぜ物など特にされておらずシンプルでいてでもうまみがあって、美味い。ババが選ぶ味噌はやはり信じて間違いなかった。ババの食材情報には絶対的信頼をおいております。

そんな今日はゆめぴりかを炊いて野菜炒めを作りました。もやしと小松菜とにんじんと豆腐をざっと炒めまして、ケチャップとだし醤油で味付けして、ご飯と合うようにちょっと味濃い目にしまして。最近ケチャップ好きなんですよ。ついなんにでも入れてしまいますね(笑)

そんなわけで、今日は野菜炒めとゆめぴりかで夕食でした~。

みなさんもいかがでしょうか。

ゆめぴりかと山吹とケチャップ。

 

それではまた。

 

歳を重ねる前に思うこと

やはり三日坊主になってた。

少し違うことをしてしまうとすぐ書くことを忘れてしまう。

そんなわけで年明けから一ヶ月。

二月になりました。

 

今月で27歳になる。

ここ数年、歳を重ねるということが怖くて仕方ない。

25歳までは何やら漠然と、大丈夫、まだ大丈夫だと何故だか思えていたが、25歳ってのはどうやらボーダーなようでして。

26歳になったときは「ああ26歳になってしまった」と思ったし、今は「ああ27歳になってしまう」と思っている。

 

私の使ってるパソコンはDELL製の据え置き機だ。私が大学生の時に買ったもの。安くてデカイ。

つい先日、なんとなく普段使ってないフォルダを見返していたら(こういう時はだいたい現実逃避)学生時代の写真が出てきた。

厳密に言うと半年に一回くらいは見つけているが、見つけるたびに「あ、こんなのあった。」という気分になる。知っているくせに滑稽だと思う。

 

見つけるたびに、眺めてしまう。

大体の写真は演劇サークルにまつわる写真だ。今でも顔を合わせる人間もいれば、めちゃくちゃずっと一緒にいたのに音信不通の人間もいる。私はだいたいパッとしない感じで写っている。

パッとしないなりに、それなりに笑えている。

 

大学生というのは大概に浮かれているが(しかし大学生本人は大概がそのことに無自覚だ。これが困る。)私は大概の浮かれた大学生を見ると「あーあ、もう」と思う。

終電手前くらいの頃に人がぶっ倒れている駅は大抵近くに大学あり。

肩を担がれくたばりかけている若者。その横ででかい声で笑う若者。耳にビニール袋かけて俯いてる若者。気持ちばかりのミネラルウォーター。背中をさすってる女子。

そういう駅前は好きじゃないと思う。

でもなんだかつい眺めてしまう。

これは嫉妬なんだと思う。

過去を眺めては過去に嫉妬し、現在を過ごしている彼らに過去の自分を繋ぎ合わせて嫉妬している。

 

最近ハッとしたことだが、大学時代から私の生活水準はほとんどと言っていいほど変わっていない。食べるものや着ているもの。金の稼ぎ方。

一緒に大学を卒業し、まっとうに就職した友人は社会人五年くらいになるのか。そろそろ人生の一部になってきたところだろうか。そんな事を思いながら、私はバイト先の年下の正社員に指示を貰っている。

同級生や後輩たちが社会人歴を積み重ねていく一方で、私は着々と演劇歴を更新している。

 

大学の終わりに、私は自分の道を決めることが出来なかった。

私はあの時からずっと長い長い就職活動をしているんだと思う。

長過ぎるわ。

だけど27歳を目前にしている今、なんとなく、本当になんとなくだが、ようやく私の目的がなんだったのか、ぼんやりと形を帯びてきている。

 

それが正解なのかどうかは分からないけれど。

 

そんな具体的なお話はまたいつか。

正月終了

人間を一番狂わせる感情は「めんどくさい」らしい。

なるほど。

 

三が日が終わった。

31日から1日の朝にかけて実家におり、1日の夜は中野坂上デーモンズの面々と「ゴーゴーヘブンゴーゴーボーイズ」を観ながら鍋をつつくというイベントがあった。これはとても楽しかった。岡田将生が美しかった。

鍋も、コンビニで調達した野菜と豆腐とソーセージばかりの鍋で、それがまた即席感があっていいなあと思った。デーモンズらしい鍋だなあと思った。

帰りは環七を沿って歩いた。車が少なくて人が少なくて良い夜の風景だった。

 

それから2日はいとこの家で母方の親族の集まりがあった。

母方の親族の子どもたちは、私以外まだ二十歳を迎えていない。

中学生2人と大学生1人。それとうちの妹たちは中学生と高校生。

アンダー20が5人。彼らは仲が良い。私は彼らと10歳前後離れているので、私が丁度学生のころ、彼らは赤ん坊や小学生や中学生で、やはりそのときの記憶が強いのだけど、最近同じ会話が出来るようになってきたことがとても不思議に思う。

同じトーンで恋愛の話などをしてしまうのだ。可笑しい。なんだか、彼らの成長が追いついてきて、逆に私が彼らの輪に入れてもらえたような感じだ。きっとこれは親父と息子が一緒に酒を飲めるようになったと同じ感覚なんだと思う。

それと同時に、私は時が止まっているのだなとも思う。子供の成長する速度は驚くほど速い。

 

それでまた私が毎年何を危惧しているって、お年玉の存在だ。

正直、私はまだ彼らにちゃんとしたお年玉をあげられるほどの余裕がない。見栄を張って奮発すればいいのかもしれないが、奮発したら自分の生活が死ぬことが明らかで、。

でもやっぱり見栄は貼りたいもので、コインチョコと少しだけ珍しいお菓子を少しお年玉袋にいれた。うちの父親が札の入ったお年玉袋をくばった後で、みんなに配った。喜んでくれた。

 

こういうときに、何をしているんだろうなあと思う。

私はまだ自分が生きることだけで精一杯だ。

 

1月3日はバイトだった。