喰々じゃくじゃく

一般人の日常。都内市民。主に家にいる。思ったことをなるべく素直に書き散らす。

くうくうじゃくじゃく

2017年 朝

実家で目覚めた。

年が明けたら帰るつもりでいたのに、うっかり寝てしまった。

一人暮らしの家から実家までは歩けば15分ほどで帰れる距離にある。なんとも有難い位置であり、有難みを感じにくい距離である。

昨晩、家族のLINEで父から「良い肉を買った♪」と入ったので、その言葉につられて実家に帰ってきた。いざ帰ってきてみたらみんな(父、母、祖母、妹二人)そばを啜っていた。母に「肉は明日以降に食べる。今日はそば」と言われ、なんだか肩透かしを食らった。「去年もそうだったでしょ。」と言われ、そういえばそうだった気もするが去年は集まるのが遅かったために次の日に回したんじゃなかっただろうか。「私も今日すき焼きかと思った。」と中学生の妹が漏らしながらそばを完食していた。「だって今日はおそばとおせちを食べる日でしょ。」肉の余白なんてないという事らしかった。

そばとお菓子とアイスと伊達巻を食べた。ビールも飲んだ。

紅白を見てしまったら大晦日という気分になるしかないのが日本人の性だと痛感せずにはいれなかった。うちでは大抵ジャニーズカウントダウンも見ながら年を越す。マルコスは出れないのかとか、山ピー髪切ったね、東はいくつになってもかっこいいとか、なんだか親戚のような口調で彼らのことをみんなで話す。普段ジャニーズなんて全然聞かないのに知ってる歌が流れ出すと口ずさんでしまったりして、ああ浮かれてるなと思った。高校生の妹が自撮り棒を持ち出したりしてみんなで写真も撮った。

あんなに大晦日が億劫だったのにしっかり盛り上がってた。

 

今朝、80歳の祖母が薬を飲む音で目が覚めた。祖母はゆっくり水を汲んで薬を飲んでまた寝てしまった。

妹たちが床に転がって寝ている。

テーブルには昨日の残骸が放置されている。

皆が寝ている間に帰ろうと思った。

玄関をみたら水だけ入った空の水槽が置いてあった。そういえば数年前からずっとここに金魚が一匹入っていた。たまに帰っては金魚がいるなと思っていたけど、誰も金魚について話したことはなかった。水槽には金魚以外入っておらず、循環器だけが動いていた。不思議だった。あの金魚は一体誰によって生かされていたんだろう。

空になった水槽をみてどこか安心している自分がいた。

私はもう家に帰りたくて仕方なかった。

大晦日に思うこと

年々、特別な時に特別なことをするという体力がなくなっている気がする。

1人だったら何もしたくない。無意味なイベントを発生させたくないと思ってしまう。

今私は一人暮らしの自宅でこの文章を打ってるわけだけど、正直これから腰を上げて大晦日を楽しむということが億劫である。

楽しむことってめちゃめちゃ体力のいることで。もう子供のころみたいに手放しでただ楽しいが出来なくなってきている。

これが終わってしまったらまた仕事だとか、お前そんなに楽しんでていいのか?とか この楽しいに意味はあるのか? とか、考えてしまったら急に今楽しいことが虚像みたいに思えてサーっとしてしまう。

上がって落ちて上がって落ちてに身体が付いて行かない。その疲労もだんだん年を重ねるごとにしんどくなってきていて、更にもうその感じに飽きている。もう上がったら次落ちることが待ってると思うと恐ろしいし、「落ちたときの処理めんどくさー!」で埋め尽くされる。這い上がってくるのも一苦労。

だからもう何もないほうが幸せなんじゃないだろうかと思う。

何も望まないので、楽しいこともなくていいので、そっとしておいてください。

と思うことが、日々多々ある。

 

それでも日々ぎりぎり何かしらに繋ぎとめられてるわけで。

その何かしらってのは人間であることがほとんどで。

もう恐らく他人の理性が自分の理性に働きかけてくれないと人としての社会的な理性を保てない。(そもそも社会性ってなんだ。もはや私はどこに対しての社会を気にしているのか。)

私は人と関わることへの苦手意識がすごいんだけれども、それでも私を繋ぎとめておいてくれるのは人なんだ、と思う。

こんな生産意識の低い私でも引っ張りあげて繋ぎとめて、一緒に創ってくれ、仕事をくれ、話を聞いてくれ、居てくれ、それが心底有難いなあと思います。

 

2016年。

私を見ていてくれた方、私を気にしてくれた方、私を名指しで呼んでくれた方、私を私と認識してくれた方。

 

私は今年もどうにか人間が保てました。

本当にありがとうございました。

来年もまたぎりぎり理性で生きたいと思います。よろしくお願いします。

 

すずきのすり

 

 

というわけで実家に肉を食らいに行ってきます。

ごあいさつ

こんにちは。

 

こういうのっておそらく1月1日から始めるべきものだと思うのですが、たぶん1月1日が来たら忘れてしまうと思うので忘れないうちにとモチベーションが生きている今のうちに書いてしまおうと思います。

 

はじめまして鐸木のすりです。

すずきのすりです。

 

大抵の方は鐸木が読めないと思うのでひらがなのとこだけ覚えてもらえれば大丈夫です。

力んでかっこつけて妙な漢字にしてしまったのでこのざまです。

 

普段は脚本家として生きています。

文字を書くことを生きがいにしています。

というより文字の世界でないと生きられない感じです。

喋るという機能がぽんこつなのでこっちに逃げてきています。

みたいな。

 

この場では、衝動的に、あと自分の客観視を目的として、思ったことをなるべく素直に書いていきたいと思います。

もしかしたら、あなたの持っている鐸木のすり像と私の持っている鐸木のすりは違うかもしれない。その差異でいわゆる「ドン引き」される方はこのままそっとしておいてください。

そもそもお前誰だよというところだと思いますが。

でももしかしたら自分が自分にどん引きしてるだけで、そんなに大した事は言ってないのかもしれないです。ただの自意識過剰かもしれない。

かもしれないばっかだ。私もどうなるか分かったもんじゃないので、ひとまず様子を見ていてください。

 

ではでは、ひとまずご挨拶までに。

 

すずきのすり